長編・シリーズ

□君を繋ぐ音楽
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どうしよう。
香穂子は悶々としながら、自宅に帰った。
今の自分の年齢や、立場から考えれば、産むなどとは無謀すぎる。だけど、芽生えた命を、彼との絆を断ち切る事ができない。
それに、こんな事態を留学中の蓮に知らせたらどうなるのか。もしかしたら、留学を取りやめるなんて事にもなりかねない。
…そんな事はできない。
彼の夢を、将来を、自分で壊すなんて事は、香穂子には出来ない。
そして、香穂子は意を決して、両親に話した。
「…子供?お前、何をしてるんだっ」
娘を殊の外可愛がっている父親は、複雑な心境を表すかのように、大きな声を張り上げた。
「ごめんなさい…。でも、私、いい加減な気持ちじゃないの」
「香穂子…、相手の名前は言えない、まだ連絡出来ない、だけど生みたいって…それでいい加減ではないとは言えないでしょう?」
「…」
母親に諭され、香穂子は言葉に詰まった。
確かに相手の話をしないで、子供だけは欲しいなど、親が納得する訳はない。
だが、香穂子はそれでも必死だった。
「…相手の人は妻子持ちだとか、危ない仕事をしてるとか…そういうのじゃないの。ただ、今は彼、夢を追っている最中だから…私、それを邪魔したくないの」
「…相手の邪魔はしなくても、自分の夢は壊すつもりか?」
「…」
父親の静かな言葉に、香穂子は再び言葉を詰まらせた。
いきなりヴァイオリンを始めたかと思うと、音楽科への転科を希望したり。
不意にコンクールなどに出場して、いきなり優勝したり。
両親も驚く突飛な行動を、香穂子はしていたが、今回は最大級の大胆な行動で、それが頭を更に抱えさせる。
「いいか、子供を産み、育てるという事は大変な事なんだぞ」
「分かってる」
「いや、分かっていない」
父親は深いため息をついた。
「せめて父親の名前は言えないのか?」
「…」
香穂子は再び口をつぐんだ。
…こんなやり取りを数日繰り返し、結局両親は香穂子の意思を尊重した。それ位香穂子の意思は強かったのだ。
…本当は生まれた後、香穂子の子供ではなく、両親の子供、つまり香穂子の弟として育てるという案もあったが、これも香穂子の意地で却下された。
この子は私と彼の子供なのだから。…その一点ばりで。
そして、そんな事を考えた結果、やはり学校は退学しなければならないだろうという結論で落ち着いた。香穂子もそれには異論はなかった。
香穂子は退学届を携え、理事長室に向かった。
担任に渡したら、余計な噂が流れてしまう恐れがあったからだ。
おかしな噂が、誰かの口から蓮のもとに届く事は避けたい。
だから、理事長に出そうと思ったのだ。彼ならば、その辺りをうまくやってくれるだろう、と。
だが、香穂子の話を受け、理事長はじっと香穂子を見ながら答えたのだった。
「その退学届は受理することは出来ない」
…と。
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