長編・シリーズ

□君を繋ぐ音楽
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それは楽団に入団して一年程経った頃だった。
客員として、日本でも高名な指揮者がやってきた。
特別公演として、彼にタクトを振ってもらうことになったと、楽団の関係者から聞いたとき、皆、それに色めきたった。
やはり音楽を志す者として、そういった機会に恵まれるというのは、貴重な経験となる。
香穂子もまた、それを楽しみにしていた。
また一つ、蓮に近づける。
そんな気持ちもあった。
それになにより、やはりヴァイオリニストとして、スキルアップが出来るのは喜ばしい事だ。
そして、この指揮者のもとで、香穂子はコンミスを経験することになったのだ。
楽団に入ってからの経験は浅いが、いくつかのコンクールでの成績や、今までの様子を見て、一度経験させてみよう、という事になったのだ。
また一歩、彼に近づけた。そう思うと、大変な事でもやる気が湧いてくる。
そんな風に香穂子は考えていたが、…現実は甘くはなかった。
やってきたマエストロは、今まで香穂子が経験してきたのとは違うタイプで、やたらと管理をしたがる。
自分のやることは正しい、だから、自分に従え。
そんな態度で練習をするので、仲間達は少し辟易していた。
この楽団は、チームワークのよさも売りで、そこから生み出される音楽は優しく心地よい。別になあなあ、という訳ではない。協調が一番だというのが、楽団の理念だったからだ。
そんなイメージとは程遠い、きっちりきっちりとした彼の生み出す音は、香穂子達には厳しい。
そして、その日も変わらず、厳しい指示が出されていた。
「オーボエ、何だそのしみったれた音は!もっとはっきりとさせろ!ヴィオラは何を聞いていたんだ?」
「「…すいません」」
指摘された人達は暗い表情でうなだれる。
…このままでは、いい音楽を作れない。
コンミスとして、そこをなんとかしなければならないと香穂子はすっくと立ち上がり、マエストロに声をかけた。
「あの…二人ともその所はわかってらっしゃるみたいですし…そろそろその辺りで…」
「口ごたえするな!」
香穂子の言葉はその一言で一蹴された。
さらに。
「このオケは俺が取り仕切っているんだ。たかだかコンミス風情が口答えするな」
とまで言われてしまう。
「ですが…このままでは皆が萎縮して、いい音楽が出来ません」
香穂子は恫喝されていたオーボエやヴィオラのメンバーをよく知っている。そんな風にきつく言わなくても、分かるようなメンバーだ。
だが、香穂子のその言葉がマエストロを更に怒らせる結果となってしまった。
「お前のような若造に、しかもコンミス初心者に言われる筋合いはないと言っているのだ!」
「…」
「大体、お前のような私生活が乱れている人間が、コンミスなど務まる訳がない」
「…あの、どういう…?」
香穂子が眉をしかめると、マエストロはふふん、と鼻を鳴らした。
「お前、10代で子供を産んでいるだろう?しかも父親の知れない」
「…!」
香穂子は目を丸くした。
恐らく、事務方から、オケメンバーの経歴などを聞いているのだろう。
それで知っているのは分かるが、ここで、皆の前で言う事ではない。
…そんな香穂子の秘密を知らなかったメンバーがざわつき始めた。
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