長編・シリーズ

□君を繋ぐ音楽
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「…は?」
いきなりカバ呼ばわりされ、なのにいきなり抱き着いてきた香穂子の言動に、蓮は戸惑いを覚えた。
「カバッカバカバカバッ」
「…香穂子?」
ぎゅっと抱き着きながらも悪態をついてくる香穂子に、流石に蓮も少しだけむっとする。
だけど、香穂子の意外な答えに、少しだけ目を丸くしてしまう。
「だって、だって…なんでこんなに嬉しい事ばかりしちゃえるのよ?」
「…え?」
香穂子は蓮を見つめながら嬉しそうに言った。
「こんな嬉しい事、私がノーなんて言える訳ないじやない!」
「…そうか」
香穂子のその言葉に、ようやく蓮もほっと息をついた。
「いまさらな事だと、言われてしまうかと思った」
「…そりゃそうだけど…」
子供もいて、お互いの両親と顔あわせまでして、あとは籍を入れるだけの関係で。
プロポーズなんて、確かにいまさらなのだが。
「でも、蓮の気持ちを、こんな嬉しい事はいつでも何度でも聞きたいからいいのよ」
香穂子はそう言って微笑んだ。
「…そうか。そうだな」
蓮もまた、微笑み返す。
そして、箱の中から指輪を取り出し、香穂子の左手薬指にそっと嵌めた。
「ヴァイオリンを弾くときには外さないといけないけれど」
「…分かっているけど…今、それは必要ないんじゃない?」
どんなときも、音楽の事が頭から離れない蓮に、香穂子は苦笑した。
そして。
「…今はこの指輪の重さを確かめていたいの」
そう言いながら、蓮の腕に、自分のそれを絡めた。
「ねえ、最後のダンスを踊りましょう?」
「…ああそうだな」
ラストワルツは特別な人と踊る特別なダンスだから。
…二人はフロアの輪の中に入っていったのだった。


「…まだ仕方ないとはいえ、君を送っていくというのは淋しいものだな」
帰り道、蓮が呟くように言った。
「なら、うちに泊まっていく?」
「…この衣装で?」
蓮の羽織るコートの下は、コンサートや後夜祭で着ていた燕尾服のままだった。
「明日はホールでリハーサルがあるのに、このままではちょっと…」
「…そっか…」
香穂子も残念そうに頷いた。
「まあ、こんな淋しさを覚えるなんて、あと少しの事だから…」
「そうだな…」
いずれ今夜の事も笑い話になるから。今はそんな思い出を二人で作っていくのだ。
「そういえば、引っ越しは蓮の全国ツアーの合間をぬって、でいいんだよね?」
「あ、ああ」
蓮は小さく頷いた。
「君達には慌ただしいものになってしまうのが申し訳ないんだが…」
「それは大丈夫よ」
香穂子はにっこりと微笑んだ。
「忙しいのも幸せの証、だしね」
「…そうか」
蓮はほっと息をついた。
「その前に婚姻届も用意しなきゃ」
「…ああ、それは用意している。後で渡す」
「あら?早い」
香穂子が軽く驚いていると、蓮は苦笑しながら答えた。
「結婚が楽しみなのは、君だけじゃない」
「あ、そうか」
香穂子もクスクスと笑った。

「…それよりも前に、もう一つの仕事しなきゃいけないが」
「そうね、貴方とのデュエット、頑張らなきゃ」
二人はそう言いながら別れたのだった。
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