長編・シリーズ

□君を繋ぐ音楽
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香穂子は柚木に助けられて、車から出た。
そこは確かにあの時の教会だった。
王崎先輩に頼まれて、ここでコンサートを開く事になって。
初めは断られた蓮を無理矢理引っ張りだして、アンサンブルを組んで演奏することになって…。
…あの時はこんなに好きになるとは思わなかった。
春のコンクールで蓮と出会い、そのヴァイオリンの音色に憧れ、目標になった。
…多分その頃から好きになっていたのかもしれない。
そして、コンクールが終わり、…学科の違う二人は繋がりが薄くなってしまったと思っていた。
…通学路や学校で会えば挨拶する程度。
それがアンサンブルを始めて、二人の間が急接近して…。
……好き。
そう自覚した時には、運命は悪戯を用意していた。
…蓮は留学を決意していたのだ。
だけど、そんな事で諦められる程、軽い気持ちではなかった。
……そう、そんな想いの始まった思い出の場所なのだ。
「…感慨深いのは分かるけれど、早く控室に行ったほうがいい。…ご両親が待っているからな」
「は、はい。あの、今日はありがとうございました」
香穂子がペこりと頭を下げると、柚木はクスリと笑った。
「…感謝は後で纏めて聞くから、早く行きなよ」
「は、はいっ」
香穂子は足早に控室に向かったのだった。

控室には、香穂子の両親が待っていた。
「…もしかして、二人とも知っていたの?」
「…すまんな、蓮君に香穂子には内緒にしておいてくれ、と言われていたんだ」
香穂子の父は、睨んでくる香穂子の視線を逸らすかのようにしながら答えた。
「…まったくもう」
香穂子はため息をついた。
「だが、蓮君はお前の事をちゃんと大切に想っているんだな」
香穂子の父は複雑な笑顔を覗かせながら言った。
「急ごしらえで不十分になるかもしれないが、なんとか式を挙げたいと、忙しいなかかなり頑張っていたしな」
「…」
あの企み事なんて苦手そうな蓮が、香穂子にも内緒で色々やろうとしたのだから、かなり大変だったかもしれない。
「でも、内緒にするような事じゃないわよね」
「…お前に苦労をかけていた、そのお詫びもある、と言っていたぞ。その分喜ばせたいから協力してくれ、と」
香穂子はその言葉を一つ一つ噛み締めるように聞いた。
…私はこんなにも彼に想われていた。
その幸せを忘れない為にも。
そして。
「彼と幸せになりなさい」
父からの言葉に、涙が一滴こぼれ落ちたのだった。
そして。
「…時間だ、行こうか」
「…うん」
香穂子は父の腕をとり、会場に、蓮の待つ場所に向かったのだった。


教会の入り口には、あの後ダッシュで来たらしい天羽が待機していた。
「それじゃ開けますね?」
ウィンクしながら、天羽が言った。
「…お願いします」
その言葉とともに教会の扉が開いた。
そして、オルガンの賛美歌の音色が教会内に響いた。
それは土浦のものだった。
…本当に、見事な位用意周到なんだから。
普段からは考えられない位、何でも段取りされているこの式に、香穂子は内心驚き呆れていた。
ふと、このヴァージンロードの先に待っている蓮と視線があった。
先程までのコンサートとは違う、白の燕尾服姿に、香穂子はドキッとしてしまう。
何度も蓮のこんな服装を見ているはずなのに、香穂子の鼓動はいつもより早いのは、今日という日が特別だからなのだろう。
蓮が香穂子を見る視線もまた、眩しそうに見えた。
…今日まで色々あった。
出会って、恋して、…別れを考えた事もあった。
離れた場所から再び同じ道を歩めるように、と願って離れた日々。
夢のような留学生活。…そして、運命の悪戯に遭って…。
そんな事を考えながら、蓮の側に座る蒼に視線を移した。
…自分と蓮の想いの結晶。
お腹のなかに授かったと思った時は、正直戸惑った。
…だけど、産んだ事は決して間違いではなかったと、今でも確信が持てる。
二人で生活していた時も、辛い事だけではなかった。
蒼がいたから頑張ってこれた。
蓮とは違う意味で、大切で愛しい存在。
自分のわがままで、辛い思いをさせた事もあったかもしれない。だけど、これからは幸せが続くようにしたい。
その蒼の前を通りすぎ、蓮の前に立つと、香穂子の父は、香穂子の手を蓮に託した。
「…香穂子を宜しく頼む」
その言葉とともに。
蓮はその言葉に小さく、だけど確かに頷いたのだった。
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