長編・シリーズ

□reunion
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「…この時前置詞は…」
ゆったりと話すドイツ語の講師の声は、時に眠りを誘うものだったりするのだが、今日はそんな事はできない。
それよりも隣の蓮の様子が気になって仕方ないのだ。
同じ教科書を二人で見たり、何かしらをメモしたり。
レポート用紙に書いている蓮のドイツ語は、書き慣れているせいか、かなり流暢に書かれている。
それに混じる日本語も、とても丁寧に美しく書かれていて、蓮らしく見えた。
今日僅かな時間で、香穂子の知らない沢山の彼を見ているような気がする。
だからだろうか、いつもとは違う意味で、講義に集中できない。
ほんの少し近づくだけで、吐息が触れる。
……自分から誘っておいてなんだが、どう対処すればいいか分からない。
僅かな隙間しかない二人の空間。
蓮の熱を受ける腕が熱い。
高校時代、香穂子は普通科で、蓮は音楽科。こんな風に机を並べてなんて出来る訳はなく。
三年で香穂子が転科した時は蓮は留学してしまった。
そんな感じだったから、こういうシチュエーションは夢のまた夢だった訳で。
…それが、こんな形で実現するなんて。
嬉しいような、でももっと早くこうしたかったというか。
でも、実際はなかったからよかったのかもしれない。
何せそんな事があったら、授業に身がはいらなくて、成績ががた落ちしていたこと間違いないだっただろうから。
そんな事をつらつらと考えていると、授業はどんどん進んでいった。
「…で、次ページで…」
講師のその声に、香穂子ははっとし、慌ててページをめく…ろうとした、が。
…同じく教科書のページをめくろうとした蓮の手に触れてしまった。
香穂子は驚いて、思わず手を引いてしまう。
「…すまない」
蓮は申し訳なさそうに言った。
「あ、ううん。こちらこそ…」
香穂子もドキドキしながら蓮に謝った。
そして、蓮のめくってくれたページに目をやった。
思わぬハプニングに、香穂子のドキドキは止まらない。確かに目で活字を追っているのだが、頭に入ってこない。だが、今は大事な講義の最中なのだ。
……授業に集中しなきゃ。
月森君だって気にしていなさそうだし。…少し複雑な気分だけど。
香穂子は必死にそう思いながら、教科書の文字を追った。
だがその時間、香穂子は結局、指先に感じた蓮の温もりが忘れられなくて、授業に集中することなく、終わってしまったのだった。

「お昼、どうする?」
授業が終わった後、香穂子は蓮に尋ねた。
「何処かで食べようかとは思っているが…」
その言葉のニュアンスに、香穂子は蓮が一人だという事に気付いた。
「…じゃあ、一緒に食べない?」
香穂子は思いきって尋ねてみた。
「え?」
「ここのカフェテリア、高校のと同じところが入っていて、とっても美味しいのよ?だから…一緒に…どうかな?」
香穂子が最後のほうは恐る恐るといった様子で尋ねる。
と、蓮はふわりと笑って頷いた。
「そうだな。君が良ければ、一緒に食事をしよう」
「も、もちろんオッケーだよっっ」
香穂子は嬉しそうに微笑みながら、頷いた。
…まだあと少し一緒にいられる。
香穂子はそう思いながら、蓮と共に歩きだしたのだった。
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