長編・シリーズ

□reunion
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〜Prologue〜渡せなかったラブレター

香穂子のコンミス試験やオーケストラコンサートが終わった数日後。
アンサンブルメンバーは駅に集まっていた。
今日は仲間の一人、月森蓮がウィーンへ留学する日なのだ。
「本当にここで良かったの?」
加地が少し残念そうに尋ねた。
「ああ、別に空港まできてもらわなくてもいい」
クールな表情でそう答える蓮に、加地は至極残念そうな顔になった。
「あーあ、お見送りの屋上に、『月森頑張って』って横断幕を張って見送ってあげたかったのになぁ」
「…やっぱりここまででいい」
そんな恥ずかしい事をされたら日本に二度と帰れなくなりそうだ。
そう呟く蓮を見て、見送りメンバーは笑った。
だが、その笑顔の輪の中に、香穂子はいなかった。
香穂子は、そこから少し外れたところで、じっと蓮を見ていた。
…貴方に言いたい事がある。…でも言えない。
無意識に触っていたポケットが、かさりと音をたてた。
それは、昨日、考えて考えて、一生懸命書いた手紙。
…本当は今日渡そうと思っていた。
待ち合わせに少し早く来て、いつも時間よりやや早く来る彼に渡そうと思っていた。
だけど、夜更かししたためか、遅刻ギリギリにここに到着したため、結局渡す事ができなかったのだ。
何となく皆の前で手渡すのも躊躇われ、今も香穂子のポケットの中。
いつ渡そうか。
香穂子がそれを考えていると、不意に声をかけられた。
「日野さん、月森君に言いたい事ないの?」
柚木が尋ねてくれたが、香穂子は心の準備ができておらず、首を横に降った。
「と、特にこれといっては…」
「そう?さっきから何かを言いたそうにしていたから、月森君に話す事があるのかと思っていたんだけど」
「…」
流石というべきか、柚木の洞察力には思わず脱帽してしまう。
だが、せっかく作ってもらったチャンスなのに、それを潰してしまう形になってしまった事は悔やまれた。
「でも、一言何か言ってあげなよ」
柚木に背中を押され、香穂子は月森の前に立った。
「あ、あの…あっちに行っても頑張ってね?」
「…ああ」
「私も日本で頑張るから。月森くんに追いつく…にはまだまだ自信ないけど…もし…また会える時があったら、月森くんに誉めてもらえるくらい上達していたいと思うの…」
「…そうか…。君も頑張って」
「うん、それじゃあ、体に気をつけて頑張ってね」
「…」
香穂子は蓮をまともに見る事ができず、俯きながら言った。
…顔を上げたら、涙が出てきてしまう。
「…日野…」
その時、不意に声をかけられた。
「え?」
驚いて見上げと、蓮は真っ直ぐ香穂子を見つめていた。
その瞳は何かを言いたげに、甘く輝いているように見えた。…それは香穂子の想いが見せる幻想なのだろうか。
「…日野…あの…」
何かいいたげな蓮がそう言った時だった。
駅から電車の到着を予告するアナウンスが流れてきた。
「あ、電車が来たみたいだよ」
火原の言葉に、蓮は小さくため息をついた。
「…それじゃあ、また」
蓮は香穂子にそれだけを伝えると、改札口を渡った。
「いってらっしゃい、頑張ってね」
それを言うのが精一杯で、香穂子は蓮の背中に手を振った。

……結局香穂子は、あのラブレターを蓮に手渡す事ができず。

4月から転科して音楽科に進んだ香穂子は、そのまま学院付属の大学に進学し……。


月日は流れ…。


いつの間にか、大学も二年生の春になっていたのだった。
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