長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
109ページ/260ページ

加地とは地元であうという事なので、蓮は香穂子とともに最寄り駅まで帰ることにした。
だが、帰るだけなら、と香穂子は承諾したのを、今後悔していた。
帰り時間が帰宅ラッシュにぶつかってしまったのだ。
…つまり、電車内の人口密度は凄い事になっている訳で…、そうなれば、相手との密着度は高い訳で。
蓮は自然と香穂子を庇うように立っていた。
出来るだけ香穂子が苦しくないように、としてはくれているが、なにぶん人が凄くて、香穂子は蓮に…抱きしめられているような状態になっていた。
「…大丈夫か?」
蓮は香穂子に囁くように尋ねる。
耳をくすぐるような蓮のハスキィボイスに、香穂子はドキドキしながら、小さく頷く。
「…うん、大丈夫」
…こんなに耳元で、彼の囁きを聞いたのは、いつぶりだろうか。
以前は、大好きだった。
彼のいつもは冷たくすら感じるときもあった声が、囁くと甘くて香穂子を夢心地にさせた。
…今も優しく囁かれるそれは、香穂子を昔に戻すようだ。
一方の蓮も、この混雑を不快に思いながらも、ほんの少しだけ感謝する事もあった。
…彼女に近付く大義名分が出来たから。
とはいえ、先程から自分の鼻孔をくすぐる香穂子の香りに、自分の鼓動が早くなるのを止められずにいた。
…もしかしたら、彼女に気付かれてしまうかもしれない。
そう思いつつも、香穂子に伝わって欲しいとも思ってしまう。
…いかに今も君をどれだけ想っているのかが分かるから。
二人のそんな複雑な気持ちを乗せ、電車は定刻に最寄り駅に到着した。
「…凄かったわね」
ようやく甘い拷問から解放された香穂子はホッと息をつきながら言った。
「帰宅ラッシュなんて久しぶりだったしな」
二人とも、普段はそんな時間を避けるように電車に乗っていた。
普通の仕事でない事に感謝するのは、その辺りだ。
香穂子は穏やかに話す蓮を見て、ホッとしたような、…少しがっかりしたような、複雑な気持ちになった。
…がっかり?何に?
自分が一瞬考えた事に、香穂子は戸惑いを覚えた。
再会してから、時々まだ彼は自分をまだ好きなのだろうかと、錯覚する事があったからだろうか。
あれだけ密着していれば、彼のポーカーフェイスも崩れるのでは、と思ったのだが、…そう見えない。
…つまり、彼はもう…。
「…香穂子?」
急に歩みが遅くなった香穂子を心配して、蓮が振り向きながら尋ねた。
「ご、ごめんなさい。少し考え事を…」
「…いや、だがこの混雑でいきなり立ち止まるのは…」
危険だ、と蓮が言おうとした時だった。
どすん、と香穂子の背中にぶつかるように、急いでいるらしい男子高生がふつかってきたのだ。
「きゃっ」
「危ないっ」
蓮は転びそうになった香穂子を慌てて受け止めた。
「す、すいません」
それを見た男子高生は申し訳なさそうに言った。
「…気をつけて」
「は、はいっ。すいませんでしたっ」
男子高生は香穂子の無事を確認すると、再び走って行ってしまった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ