長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
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「…雨か?」
律は空を仰いだ。
すると、ぽつぽつと雨の雫が落ちてきたのだ。
「急いで寮まで帰るぞ?」
「う、うんっ」
二人は楽器を濡らさないようにしながら、寮までの道を駆け出した。
雨はその道すがらもだんだん本格的になり、二人が寮に到着するころには、さあさあと降ってきたのだった。
「…やれやれ」
律は寮のエントランスにあるソファに荷物を置くと、バッグの中からタオルを取り出した。
そして、少し濡れてしまったヴァイオリンケースを拭うと、今度は自分の体を拭こうとした。
と、その時、隣で同じような事をするかなでを見た。
ただ彼女の持っているのはハンカチで、ケースを拭くのはともかく、結構濡れた体や髪を拭うのにはあまり適していない。
律は自分の持っていたタオルをかなでにかけると、ゴシゴシとかなでの頭を拭いてやった。
「きゃっ!り、律くん?」
「何時まで濡れたままでは風邪をひく」
驚くかなでに気づかない律は、そのままかなでの頭を拭いていたのだが。
「もう、それは律くんも同じじゃない?」
ほんの少しの隙をついて、かなでがタオルを奪うと、お返しっと言わんばかりに、律の頭をふきだしたのだ。
「お、おいっ」
雨で濡れて視界が悪くなった眼鏡を外しているので、さらにぼやけた視線の先に、真っ赤になるかなでの顔があった。
本当にあまりよく見えないはずなのに、かなでの表情ははっきりと見える。
そして、ようやくかなでがタオル攻撃をやめると、律は苦笑しながら言った。
「…こういうのは…少し照れ臭いな」
「…うん。あっ、ごめんね、勢いで変な事しちゃって…」
「…いや、先にやったのは俺だからな」
律はそう言いながら、かなでからタオルを受けとった。
「それじゃあ、明日から東日本大会の準備が始まる。風邪をひかないように、体を暖めて寝るんだぞ?」
「うん…おやすみなさい、律くん」
「ああ…おやすみ」
かなでがペこりとお辞儀をしてから、女子棟のほうに歩いて行くのを見送り、それから自分の部屋に向かった。
ぱたん、と部屋のドアを閉じ、持っていたタオルをじっと見つめる。
背伸びをして、ぐっと近くなったかなでの顔。
…あんなに間近で見たのは、いつだっただろうか。
ほんのりと感じた、かなでの熱を思い出し、律は思わずどきっとしてしまう。
「…まったく、どうかしている」
かなでは幼なじみで、明日からは同じ大会で同じ目標を目指す仲間で。…ただそれだけ、なのだ。
律は小さくため息をつくと、そのタオルと着替えを持って、風呂場へと向かった。
一方のかなでも、偶然見た、眼鏡を外した律を間近に感じ、ドキドキしていた。
「…素顔なんて久しぶりに見たかも」
その時、先程の律の姿に、昔の律の面影が重なった。
今のような、よく言えばクール、悪く言えば無愛想な表情ではなく、優しくかなでに向けられる笑顔。
「…近くにいれば、あの時の律くんに会える、かな?」
かなではドキドキが止まらないまま、お風呂に入る支度を始めたのだった。
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