長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
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蓮の唇が離れると、香穂子はこつんと蓮の胸に倒れこむように体を預けた。
「…本当に狡い」
いつもは鈍感なくせに、こういう時だけやたらと聡い。
先ほどのキスは、香穂子の気持ちを理解して、更に自分の気持ちまで伝えてきたのだ。
…あんなキスをされたら、香穂子はもう何も出来ない。
何だか自分が格好悪い。
勝手に誤解し、自分から距離を置いて。
その間、蓮がどんなに苦しんだかなんて考えず、一人悲劇のヒロインぶって、他の人に癒しを求めていたのに。
…その全てにごめんなさいと謝りたかった…はずが、今のキスで全てが帳消しにされてしまった。
蓮は香穂子の全てを許し、なおかつ今も愛していると伝えてきたのだから。…言葉ではなく、態度で。
だから、これ以上抵抗なんて出来るはずはない。
香穂子は蓮にされるがまま立ち上がった。
「…さっきから君は狡いとばかりしか言わないな」
蓮はそれでも最後の抗いをみせるかのように俯く香穂子に向けて言った。
「だって…本当に狡いんだもの…」
香穂子はそう呟くように言いながら、蓮にぎゅっと抱き着いた。
「か、香穂子?」
そんな香穂子の行動は蓮には意外だったらしく、先ほどまでの余裕はどこへやら、驚きと戸惑いの声で尋ねてきた。
「…好き」
香穂子はそんな蓮の驚きを体で感じながら、はっきりと言った。
「本当は先に謝ろうって思ったのに…今はこの言葉しか出ないのよ…、狡いんだから…」
「…それは…だけど…。いや…」
蓮は香穂子の言葉に自身の言葉を一瞬失ったようだったが、困ったように苦笑しながら尋ねた。
「…その言葉は、俺を見ながら言ってくれないか?」
だが、香穂子は即答した。
「嫌」
「い、嫌?な、何故だ?」
「だって…今、私ぐちゃぐちゃな顔してるんだもん。…そんな顔見せられる訳ないじゃない」
「…それでも見たい」
蓮はそっと香穂子の頬に触れた。
そして、ひんやりと濡れたそこにびくっとした。
…それは、香穂子の涙。
もう泣かせたくないと思うのに、結局泣かせてしまう自分を反省しながらも、この涙がけして不幸なものではない事も感じていた。
「…香穂子?」
蓮は促すように再び名前を呼び、そっとその涙を拭った。
香穂子は一瞬びくっとしたが、今度は素直に顔をあげた。
ほんの僅かのその距離にある香穂子の瞳は真っ直ぐ蓮を捕らえた。
「…私…あなたのことを…ずっと好きでいていい?」
幸せと不安で声を震わせながら尋ねてきた。
「それは…俺から願いたい…ずっと俺を好きでいて欲しい。俺は君しか愛せないから」
「…私も、だよ?」
諦めよう、他の人を好きになろう。そんな事を何度も思った。だけど…そんな事出来る訳がなかったのだ。
ここで初めて蓮に出会った時から、香穂子は捕われていたのだ。…ヴァイオリンの音色に、その音楽を紡ぐ人に。
そして、その甘やかな拘束は、一生解く事は出来ないのだ。香穂子にも、そして捕らえた蓮にも。
「…私、月森君が嫌がっても離さないんだから…いい?」
「離さないも何も、俺がもう君と離れる事に堪えられない」
蓮はそう言って、優しくキスをしたのだった。
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