長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
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「…それでは、君も具体的な話は聞いていないんだな?」
「ええ。内容は『君達に任せる』ですって」
二人が任された特別講師の話を、香穂子は蓮に伝えた。
「だが、それでは何がしたいのか分からないだろう?」
「理事長は今回は試行段階で、やってみた結果を見て、また色々考えるって思いらしいわよ?」
「…俺達が実験台か」
蓮はそうつぶやきながらため息をついた。
「…まあ、いつもの事だけどね」
高校時代のあれやこれやを思い出すと、今回の事はまだ可愛いほうかもしれない。
「私は…まだ漠然としてるけど、例えば…ソロではなくて、アンサンブルとかオケとか、そっち方面に進みたいコに、どんな事をやっていけばいいのか、アンサンブルには何が大切か、とか技術だけじゃなくて気持ちとかそんな事を教えていきたいかな、とか思うの。ほら、新学期が始まってから、学校側にお願いして、そういうのを志望の子を集めて話したり演奏してみたりっていうのがやってみたい、かも」
「なるほど」
「演奏する側、聴く側、どちらも音楽が素敵なものなんだって、そう思える、そういう演奏が出来るような人を育てたい…って、ちょっと漠然としているかな」
「…いや、君らしいと思う」
「そう?」
「ああ。あの頃から変わらない、リリが見出だした君の魅力だと…」
蓮は囁くように、香穂子を甘く見つめながら言った。
香穂子はその眼差しにドキッとする。
そして、どうしていいか分からなくなりそうになった頃。
香穂子の携帯が鳴った。
「あ、ちょっ、ちょっとごめんね」
「ああ」
蓮が頷くのを確認すると、香穂子は席を離れて電話を取った。
「…もしもし?…あ、河野さん?…はい、…はい。わかりました。これから行きます」
香穂子は電話を切ると、申し訳なさそうな表情をしながら言った。
「ごめんなさい。ちょっと楽団に行かなくてはならなくなっちゃったの」
「…そうか」
蓮は少し残念そうに頷いた。
「仕事なら仕方ない」
「本当にごめんなさい」
香穂子は本当に急いでいるのか、バタバタと支度を始めた。
そんな様子を見ながら、蓮も立ち上がった。
「では、門の所まで一緒に行こう」
「…え?」
「俺も帰る所だし…もう少し…」
「う、うん…」
蓮の申し出を断る理由もなく、香穂子は一緒に学院を出る事にした。
「…今日は会えて良かった」
「うん…」
「同じ仕事をすることになるし、…これからも度々会う事になると思うが…宜しく頼む」
門の前まで来ると、蓮は香穂子に手を差し延べた。
「…うん、こちらこそ」
香穂子は高鳴る胸を必死に抑えながら、その手を握った。
…昔と変わらない、ひんやりとした感覚に、香穂子の心臓がどくっと脈打つ。
「…それじゃあ、またね」
「ああ。…あ、そうだ」
蓮は持っていた鞄からメモ帳を取り出すと、サラサラと何かを書いて香穂子に差し出した。
「…今の連絡先だ。何かあったら連絡をしてきてくれ」
「あ、じゃあ…私のも…」
香穂子は蓮からメモ帳を受け取ると、連絡先を書いて渡した。
「ありがとう」
「じゃあ、また」
香穂子はそう言って蓮から別れた。
…蓮から貰った連絡先をぎゅっと握りしめながら。
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