長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
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「まあ、審査期間は取り急ぎの仕事はないからね。秋のコンサートの準備とかあるけど、慌てなくていいように、いまから準備しておけば大丈夫だろうし」
「それで今日の打ち合わせですか」
「そうそう」
河野はそう言いながら、香穂子に書類を差し出した。


それから数時間、香穂子は河野と伊沢と共に、コンサートについての打ち合わせを行った。
指揮者とコンサートマスターは共に音楽を作っていく。
その作業が、河野が相手だとスムーズにいく。
こういうのも相性があるのかもしれない。
香穂子は打ち合わせを重ねる度に思う。
それに、自分よりも年上だからかもしれないが、何かにつけ、頼りになるのだ。…自分が不安になる事がない、というのが、香穂子をあらゆる意味で安定させてくれる。
香穂子は安心の海の中でたゆたう魚の気分だった。
「それじゃあ、続きはまた後にしよう。各パートメンバーにも相談しなきゃいけないしな。練習スケジュールとか」
「そうですね」
香穂子はほっと息をつき、書類をしまう。
「あ、日野くん、これから暇?」
香穂子が帰り支度をしていると、河野が尋ねてきた。
「は…」
はい、と答えようとした時だった。
香穂子の携帯が電話受信を告げた。
確認すると、ディスプレイには番号だけが表示されている。
それは、携帯の番号登録されていない証拠なのだが…、香穂子はその番号に見覚えがあった。
…登録するかどうか迷って、ずっと眺めているうちに、覚えてしまった蓮のものだった。
香穂子は慌てて電話に出た。
「は、はいっ」
『…香穂子?』
甘いハスキィヴォイスが耳の中に流れ込んでくる。
…あの頃とかわならい優しい声で香穂子、と呼んでくれる。
それだけで胸が自然と高鳴る。
「ど、どうしたの?」
『すまない、もしかしたら仕事中だったか?』
「ううん、今終わったところよ?」
『そうか。…なら、今から会えないか?…もし時間があったらでいいんだが…』
「え?」
『あ、…この前話が中途半端になってしまっただろう?だから、今から時間があるなら、食事をしながら、その続きをしないか?』
「…」
香穂子はその誘いを受けるかどうか迷った。
だけど…早くふっ切らなきゃいけない。
だから、会うのは最低限にしようと、頭で断る事を決断したのに。
「うん、いいよ」
口から承諾の言葉がするりと出てきてしまった。
『…ありがとう』
「ううん、じゃあ今からなら30分位で最寄り駅に着くと思うんだけど…」
『分かった。今、家だから、その位にいるように待っている』
「うん。じゃあまたあとで」
『ああ』
香穂子は電話を切ると、慌てたようにかばんを持った。
「すいません、ちょっと知り合いが会えないかって…」
「ありゃ、残念。これからご飯を誘おうと思っていたのに」
河野が残念そうに言ったので、香穂子は苦笑しながら答えた。
「すいません、また近いうちに」
そして、急いで蓮との待ち合わせ場所に向かった
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