長編・シリーズ

□長い冬の後に君と
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(2)Side香穂子

街中でいきなり声をかけられ、それが懐かしい制服だったから、香穂子は驚いてしまった。
そして、懐かしさと嬉しさのあまり、ついお節介までしてしまった。
…あの二人、驚かせちゃって悪かったかな?
見送った二つの背中を見ながら、香穂子はそんな事を考えていた。
「…ところで、だ」
理事長は香穂子をソファに座らせながら言った。
「君を呼んだのは、頼みがあるからなのだが…」
「あ、はい」
香穂子は慌てて居住まいを正した。
今日、ここにいるのは、彼女達をここに連れてくるため、ではなかった。
その用件をきちんと果たさなければいけない。
香穂子に聞く体制ができた、と分かると、理事長は香穂子を見ながら言った。
「最近、理事会で話に上がったのだが、音楽科のカリキュラムについて、少し見直しを考えていこうか、という話があるのだ」
「はあ」
香穂子はキョトンとした表情で、その話を変え聞いた。
「その中の一つに、学院OBによる、在校生への特別講師を行う、というのがあってね、その講師の一人に君が選ばれているのだよ」
「私、ですか?」
香穂子は軽く目を丸くしながら尋ねた。
「あまり年配でも若い高校生が気負いすぎるだろうし、君位の年頃なら、彼等のよきアドバイザーになれるだろうし」
「…はあ」
「それに、名前の売れている人間に教わるという事で、彼等のモチベーションも違うだろう」
「…なるほど」
「君が忙しいのは分かっているから、スケジュールは別途調整しよう。それに、君以外にも何人か話を持ち掛けているから、そちらのメンバーとも折り合いをつけて」
「…」
香穂子が頷くと確信しているように、理事長はさくさくと話を進めていく。
…昔からそういう所は変わらない人だ。
香穂子は苦笑しながら話の続きを聞いた。
「それなりの報酬もあるし、君には悪くない話だと思うが、どうだ?」
「えーと、即答しなきゃいけませんか?一日か二日考えさせて貰ってはいけませんか?」
香穂子はほんの少しだけ抵抗するかのように理事長に尋ねた。
恐らくノーなんて言えないだろうから、少しは抵抗しておきたい。
そう思っていると、理事長はあっさりと頷いたのだ。
「それくらいなら構わない。いい返事を期待している」
拍子抜けするくらいあっさりとした答えに、香穂子は少し驚きながらも、その回答に安心しながら、理事長室を後にした。

そして、懐かしい母校を噛み締めるように歩いた。
先程は他に人がいたので、なにも考えなかったが、一人こうやっていると、どうしても気持ちはあの頃に帰っていく。
…もう、戻る事なんてできないのに。
あの懐かしくて優しくて暖かい日々は。
だけど、この学院の変わらないたたずまいに、あの日々が蘇っていってしまう。
「いけないいけない」
香穂子は思わず感傷的になる自分に苦笑しながら呟いた。
「…さ、待ち合わせの場所に行かないと」
香穂子は足早に学院を後にし、知り合いの待つ駅前まで向かったのだった。
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