拍手・短編

□トリプルデート大作戦
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「まあ、月森の肩を持つ訳じゃないけど…、多分日野さんが大好き過ぎて、言い出しづらかったんだと思うよ?」
エントランスを歩きながら、加地は香穂子にそんな事を言った。
「…分かってる。分かっているからどうしていいか分からないのよ」
「…」
恐らく月森という人物を香穂子ぐらい理解している人間はいないだろう。
その香穂子が、分かっていても対処しようがないと言っているのだから、加地にはどうすればいいか分からない。
「…離れたくないって、月森も思っているから、言いたくなかったんだろうし、ね」
「…それは…」
「月森は夢も日野さんも諦めたくなくて、それで今悩んでいるんだと思うから…」
「…私だってそうよ」
香穂子は深いため息をついた。
「私の為に留学を諦めて欲しくなんかないの。彼の音楽は、私の目標でもあるから、その指針がぐらついて欲しくない。…いつか同じ高みに登るんだから。それに、月森君がどれだけ音楽を、ヴァイオリンを大切にしているかも分かっている。それを奪うなんて、私に出来ない。…でも、離れたくもない…」
「…」
「だけど、この選択が間違っているとは思わない。いつかまた同じ道を歩けるから…、その為に月森君はウィーンで、私は日本で頑張るの。でも、別れの日はゆっくり来て欲しかった。まだ半年はある、のと、あと二月にも満たないとでは、気持ちの持ちようが、ね?でも、それよりも、その日が早まる事を、誰かから聞かされるんじゃなくて、月森君自身から聞きたかった。…私にはそういう事、話せないのかなあって、がっかりしちゃった」
加地は複雑な思いでその話を聞いていた。
なんとかしてあげたいけれど、何もしてあげる事は出来ない。
月森の留学も、香穂子がそれについていく事も。
それに、加地は月森の気持ちも痛い程分かった。
「…きっと、月森だってまだ認めたくないんだよ。君とこの学院で過ごす時間があまりにも短い事を、さ」
「…そうかな?」
香穂子が自信なさげに尋ねてきた。
今までのアンサンブルも、そして今課せられているコンミス試験も、ポジティブに進んでいっている香穂子らしからぬ後ろ向き発言に、加地は苦笑した。
…恋はその人の意外な面を暴き出すというけれど、本当のようだ。
そんな事を思いながら校舎を出た時だった。
香穂子の足がぴたりと止まった。
「?どうかしたの?」
加地が不思議そうに尋ねると、香穂子は耳を澄ます仕種をしながら尋ねた。
「…ヴァイオリンの音色…」
「ああ、誰かが弾いているんじゃないかな?」
音楽科棟からは弦楽器の音色が聞こえてくる。まだ練習している人がいるのだろう。
だが、香穂子はそれではないと、首を横に振った。
「…愛の挨拶…」
「え?」
音あわせやらなにやら混じって、加地にはよく分からない。だが、その中には『愛の挨拶』は聞き取れない。
だが、香穂子はその中から聞き取り、それがどこから流れてきているのかが分かったようで、音楽科棟の屋上を見つめた。
そして。
「ごめんっ!ちょっと行ってくる!」
「え?日野さん?」
香穂子は加地の声を聞かずに、走って行ってしまった。
「…やれやれ、これなら大丈夫、かな?」
そんな香穂子を見て、加地は苦笑したのだった。
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