とうらぶ

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ちゅんちゅん、と定番の朝の音でふっと浮上する意識。すずめの声で起きるだなんてどこのお姫様の設定だろうか。
布団が暖かい。天井がいつもよりも遠い気がするし、少しだけ開けたきりでこれ以上は瞼が重たくて開くことができない。このままでは二度寝コースまっしぐらだ

「ぬしさま、お目覚めでございますか。」

「ん、まだ…」

「まだ、ですか…小狐はぬしさまのお顔を早く拝見しとうございます…」

ん〜…今日もうちの小狐が可愛い。早く起きなくては、と思う心とは裏腹に体は全身が水でぐっしょりと濡れているかのように重たい。どれだけ睡眠をとりたいのですか私は

「まだお目覚めにならないのですか…それでは、」

ふわりと香るのはお日様の中で干したお布団のような暖かい香り。
身体をぎゅうと抱き締められる感覚に、あれ?何かがおかしいなと思うまで要する時間およそ数秒

「ぬしさま、おはようございます。」

目の前でにっこりと微笑むのは

「こ、こぎ…!?」

「はい、小狐丸にございます」

今まで平面で見ていただけの小狐丸が目の前にいる。私を見つめている。私を抱き締めている。
ただそれだけ、それだけのことで心臓は破裂しそうな程に暴れていて

「どうなされました…?」

ぬしさま、だなんて優しい眼差しで見つめられたら私はもう本望です。夢でもいい、ありがとう。

「ぬしさま、ぬしさま、このままぬしさまの可愛らしい寝顔を眺めることもとても幸せにございますが私は今まで触れあうことができなかった分も埋めとうございます」

二度寝という名の現実逃避をしようとした私を小狐丸は許してくれなかった。力強く引き寄せられたかと思えば目を閉じたままに放っておいた瞼に熱い息がかかる

ああ、やっと…やっと、お話することができるのですねだなんて言いながら頬に手が添えられる感触に思わずまた目を開く

「やっとお会いできましたねぬしさま…もう二度と離しませぬ。」

「ちょっと待ってください。一度、あの、整理する時間をください…」

あと、ちょっと離れていただけるとありがたいです。
はたして私の主張は届いたのか届いてないのか定かではないけれどこの目の前の小狐丸はどける気がなさそうだ

「たーいしょ、朝飯の準備ができたぜ…って小狐の旦那、ほら大将が困ってるぜ?」

はい、とてもとても困っております。薬研まで出てくるだなんて聞いていない。

「大将にはちゃんと説明しなきゃならねぇんだから旦那、少しだけどけてくれねえか」

「薬研…貴様とて私とぬしさまの邪魔をするならば容赦せぬぞ」

薬研のおかげで拘束から逃れることが出来た私は慌てて布団から飛び出し、部屋の隅へ逃げ込んだ。

そら、見てみろ大将が怖がってるじゃねえか旦那。
見てわからぬとはまだまだお子様よのう…あれは照れているだけじゃ

いいえ、どちらでもありません。強いていうならこの訳のわからない状況に怯えています。
二人が小競り合いをしている間考え耽ってみたけれどどうして私がこの状況に置かれているのか答えは出ない。

小狐丸・薬研は今、私が一軍にいれているメンバーだ。そして私の事を主と呼ぶ目の前の二人は見た目が小狐丸と薬研にそっくりだ。ちぐはぐなパズルをつなぎ合わせるとどうやらここは私の本丸と判断してもよさそうだった。
ただ、どうしてただのブラウザゲームの物語でしかなかったものがこうして目の前に現実として成立しているのか分からない。先ほど肌に感じたぬくもりは確かに本物で、目の前にいる彼らはたしかに生きている。

「思わぬ邪魔が入りましたがぬしさま、さあこの小狐と一緒に踊りましょう」

隣に座っていそいそと近づいてきた小狐丸には悪いけど、丁重にお断りしたい。画面越しではあんなにも可愛かった私の小狐丸はどこに行ってしまったのだろうか。目の前の小狐丸は大きい。顔は整っており、身長は高くしっかりと筋肉がついた体躯、時折口から覗く犬歯はするどい。
薬研だってそうだ。画面越しではいつも(勝手に)頭を撫でてあげていたのに…私と同じくらいの身長じゃないか…私が縮んだわけでもないのだから。

「大将、考え事してるところ悪ぃんだが…」

「…っ、は、はい!」

膝を抱えて様子を見ていた私の目の前にどかりとあぐらをかいて座り込む。それすらも動作一つ一つが洗練されている。
先程からとなりにいる小狐丸も含めてだけど近くに感じる体温は現実味を帯びていて、急に冷静になると同時に怖くなってきた。腰には本体である刀がこれでもかという存在感を出している。刀剣男士である彼らはこんなどこにでもいる一般人なんていとも簡単に絶命させることが出来るだろう。

自分の頭の中の想像でふるりと震えてしまったことに気づいたのか薬研は少しだけ悲しそうな表情を見せた。

「話できる状態じゃあねえか…起きたら急にこんな所にいるんだ、そりゃあ怖いだろうしな。ほら大将、これでどうだ?」

カチャリ、聞こえた金属音に身体が強張る。薬研が刀に手をかけた。話し合いに応じることができなさそうな私を面倒に感じたのだろうか

「えっ…?」

そのまま両手に掲げた短刀を私に差し出す薬研をただ見つめることしかできない。

「知ってるよな?こいつは俺っちの本体だ。これから話す話で大将が俺っちのこと、少しでも信用できないと感じた瞬間に折っちまって構わねえ。これでどうだ?」

ほら旦那も出しな。と薬研が小狐丸に促すと何のためらいもなく先程の薬研よりはずいぶんと重みがありそうな刀を差し出す小狐丸。表情はなぜか嬉しそうだ。

「ぬしさま、このようなことでぬしさまに触れることを許してくださるのですか?どうぞ、お納めください。」

ニコニコという効果音がつきそうな程の笑顔を見せてくる小狐丸と真剣な表情を崩さないままの薬研の中には私が彼を受け取った瞬間に叩き折るだとかの警戒はないのだろうか。
それともこんな娘なんかにやすやすと折られる訳もなく、そんな動作を見せた瞬間に押さえ付けることが可能だからこその余裕なのだろうか。
それを抜きにしても大切な命を手渡せるくらいなのだから少なくとも彼らは私を主だと思っているらしい。

「さて、一から説明するぜ大将」

差し出された刀を受け取ったことを了承と受け取ったらしい薬研が話し始める。
説明された内容は至ってシンプルだ。今まで私が架空のものだと思っていたゲーム上でのことは実は本当に未来からの要請だったということ。
本丸を作るのには莫大な費用と時間がかかるためブラウザ上での行いを見て、時の政府が審神者にふさわしいと判断したもののみ実際にあるこの本丸空間に呼ばれるということ。
どれもこれもありうる話といえばありうる話で妙に現実味を帯びていた。実際未来の科学がどこまで進歩しているのかなんてわからないし、実際こうして目の前に小狐丸や薬研がいるのだから信用するほかない。

「でも、どうして私が選ばれたんでしょうか…」

なるべくログインし続けたりしてはいたけれど、それはあくまでも自分のできる範囲での話であってそれは他の審神者に比べて及ばないだろうし練度だってカンストしている子なんていない。合戦場も全て開放しているわけでもないしましてや刀剣をフルコンプしたわけでもない。采配ミスで破壊してしまった子だっている。
そんな平々凡々、よく言っても中の中程度の私がなぜ選ばれたのか。

「それは、ぬしさま自身のお心のおかげです。ぬしさまはいつもこの小狐めに優しく話しかけてくださりました。中傷のものがいれば手入れ部屋ですぐに対処してくださり、決して無理な出陣はなさらない。」

「加えて大将は怪我や刀剣破壊にひどく臆病と来たもんだ。政府にとっては他の審神者勢との比較対象として気になる存在だったんだろうさ。」

はっきり言うなら優秀な人の中に一般人を放り込んだらどうなるのだろうか、ということだきっと。

「あと、もう一つ一番大切な条件がございました。」

「条件ですか…?」

「本丸にいるすべての刀剣が、審神者である大将に会いたい。此方側の世界に来てほしいと願わなきゃならねぇんだ。」

ま、その条件は満場一致ですぐに満たされたけどな。にかっと笑う薬研はとてもきれいだ。

「この空間は時間の狭間だ。こんのすけに申請すれば大将のもといた世界にも帰ることが出来るし帰った時は、こちらに来る時間から一刻たったか経たないかの範囲で政府が調整してくれる。ただし行き来するには一週間はどちらかの世界に留まらなきゃならねえ。」

「1つ問題点、これは私にとっては好都合になりますが…ぬしさまに虚言は申しとうございませんのでお伝えします。ぬしさまが長い時間こちらの世界にいると元いた世界のぬしさまの存在自体が薄れてしまうそうでございます。時間にしてどのくらいの時間を指すのかはわかりませぬが…逆の場合、ぬしさまが現代からこちらに全くいらっしゃない場合は職務怠慢とみなし強制的に永久にこちらの世界にいて頂くこととなります。ぬしさまは定期的にあちらとこちらを行き来せねばならないのです。」

「え…?」

存在がなくなる?そんなこと、

「出来るんだよ、大将。政府の人間って奴は任務に忠実だ。俺っちたちの勝手な願いで呼んじまったからにはどうにかしてやりてえがなんとか耐えてくれねえか。」

意味が分からない。それじゃあ元から私の世界は捨てろってことになるじゃないか。友達だって多くない、仕事やめたいやめたいとばかり言っていた私だけれど決して不幸せだとは思っていなかった生活を世界のために捨てろだなんて言われても…あまりに突拍子のない話に思考がまとまらない。

「大将…?」

大丈夫か?と問いかける薬研が此方に手を伸ばしたのを見て後ろに下がろうとするけれど、隅の方にいたからこれ以上距離を開けることが出来ない。数分前の自分よ、どうして自ら逃げ道を断ったのですか…
距離を取ろうとしたことは薬研にも伝わったらしく、酷く悲しそうな顔をしたままハンカチ(この場合手ぬぐいになるのだろうか)渡される。

「ぬしさま、私どもに会うのがそんなにお嫌でしたか…?」

いつもの得意げな表情はどこへやら、酷く不安げな表情を見せる小狐丸が私の頬に触れる。ひやりとした感覚にようやく涙を流していることに気が付いた。

少しだけ、一人にしてください。というのがやっとのことで最後まで渋る小狐丸を薬研が無理やり部屋の外へ出してくれた。

「大将、あんたには悪いが俺っちは大将に会えてすごく嬉しいんだ。とりあえずゆっくり考えてみてくれ。朝餉はこれから部屋の前に置いておくぜ。」

考えるって何を…考えたからって状況が変わるわけじゃあるまいし、私にできることなんて何もないじゃない。
部屋の隅から動くことなく、どのくらいの時間を過ごしただろうか。気配を隠す気がないのだろう、部屋の前には何度も人が行き来する物音や気配がする。中には声をかけてくる人もいたが到底返事が出来る状態ではない。
声は様々だけれど、私が今まで画面越しに見ていた彼らが意思をもって会話をしている。そして当たり前かもしれないけれど私の事を知っている。私は彼らの事、名前と顔と大まかな性格くらいしか知らないのに取り残された気分だ。

「かえりたい…っ」

零れる涙を拭うことなく部屋の隅で震える私は傍からどう見えるのか。声を抑えていてもきっと部屋の前を通れば聞こえてしまうだろう。いい年した大人が泣いているなんて、みっともないし悟られたくない。

「ぬしさま、失礼いたします。」

「こ、なっ…で…」

「ご無礼は承知の上です。ただ、この小狐はぬしさまのおそばを離れとうございません。ここから先は動かぬことを誓いますのでどうかお許しください。」

衣擦れの音につい顔を上げて襖の前にあぐらをかいて座り込んだ小狐丸をぼうっと眺めてみるけれど涙は止まらない。ぼろぼろに泣く私の顔を見た小狐丸は立ち上がりかけて先ほどの宣言を思い出したのかハッとした表情でまた座り込み、ひどく辛そうな顔をしている。
そのまましばらくじっと座っていた小狐が少しずつ話し始めた。話の内容は天気のことだとか、今日の朝餉中の出来事だとか、内番はかったるいだとか…ゆっくりとしたトーンで語られる日常のことはやはり私にとってはどこか他人事のように感じられて。
あいづちを打つわけでもない私にずっと話しかけ続ける小狐丸は何が楽しいのか、ずっと笑みを浮かべている。

「今までは落ち込んでいらっしゃるぬしさまをお慰めすることもできず、ただただ話を聞くことしか出来なかったのがこうして私からお話できることがとても嬉しゅうございます。」

仕事は私を束縛するから嫌いだとか、カカリチョウは私をいじめるから嫌いだとか、私の世界のこともしっかりと聞いていてくれた小狐丸の話は止まることがないけれど決して耳障りではない。いつの間にか涙は止まっていた。

「今は、ゆっくりお休みくださいませ。」

体力の限界がきて落ちていく意識の中に聞こえたのはとても優しい声だった。



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