Vitamin

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今日も聞こえる素敵な音色


クラッシック観賞や演奏だなんて高尚な趣味に縁もないし、興味もなかった私だけど仕事帰りに聞こえてくるこの音色はすごい人が奏でているであろうことは予測がついた

力強くて繊細で、私みたいな素人が聞いても分かる技術力の高さ
その人の演奏を聞くと疲れなんていつのまにか吹っ飛んでいて、毎日の楽しみになっていた。
不思議と演者さんと会ってみたいと思うことはなく、私はただこの演奏会がいつまでも続くと良いなとぼんやりと祈っていた。

「ふーん…名無しさん、それってさぁーおいら心当たりあるんだけど」

「あっ朝比奈くん、その…私別に会いたい訳じゃないから特定はする気はないの。ただもし朝比奈くんのお友達がその演者さんだとしたら楽しみにしてる人がいるってことだけ伝えてくれると嬉しいな。もちろん、演奏の邪魔はしないから」

「そっかぁー?喜ぶと思うんだけどなぁ〜おいらだったら絶対会いたいって思う!」

目の前でニコニコしながらガトーショコラを食べている朝比奈くんはうちのお店の常連だ。月に一度の外出日に奇特なことに毎回来てくれる可愛らしい男の子。珍しい髪の色とそのキャラクターですぐに顔見知りになった

私が勤めているケーキ屋さんはカフェも隣接しているけれど大盛況というほど…正直流行っているわけではないのでこうして一人一人のお客様とお話しできるところが気に入っている

「本当に言わないのか?藤重は寝起き悪くて、魔王子ですっげー意地悪なドエスだけど良いやつだぞ!」

「藤重くんて言うのね。というか今の朝比奈くんの発言からいい人要素が拾えないのだけど…」

「おう!おいらのライバルだ!!」

「そっか、ライバルってことは彼が弾いてるのもヴァイオリンだったのか…何の音色かもわからなかったの。クラッシックの勉強しようにも何から始めればいいのか分からないくらい分からなかったから。」

恥ずかしながら楽器の名前は知っていてもこれはヴァイオリンなのかビオラなのかチェロなんなのかあの形をしたどれかという認識だったので、もしもあの演者さんが朝比奈くんの言う藤重くんならばヴァイオリニストさんということになる。

「そうだ!一辺おいらも一緒に聞きに行って誰が弾いてるか確認する!そんなシャバい演奏する奴が藤重以外だったらチェックしないとならないしなぁ」

「ちょっと待って朝比奈くん…私の話、聞いてくれてた?」

「ん?藤重の演奏を聞きたいんだろ?」

「微妙にずれてる…!!私は特定する気もないの。ただあの音色が聞ければ満足だし、邪魔したくもないの…」

「でも、おいらは気になる!!」

あーダメだ。これはダメなパターンですね神様…もう彼は何時に待ち合わせるかまで決め始めていて私の頭は考えることを止めた。
そんなに長くない付き合いだけど朝比奈くんがこうと決めたらなかなかに曲げてくれない子だって分かっているもの。私にできることと言えば今日はかの演奏会がなくなってくれる奇跡と、せめて演奏の邪魔はしないようにということを祈ることくらい…ごめんなさいまだ見ぬ藤重君。藤重君かどうかもわからないけど…









結局押しに弱い私は朝比奈君の誘いを断ることができずに仕事終わりにお店の前で待ち合わせすることとなった。

「朝比奈君、今さらだけど…門限とかいいの?」

「おう!おいら忍者だからな。バレないから平気だぞ。」

忍者とそれは別物ではないだろうか朝比奈君。そんな自信満々に言われるとこっちが困ってしまう。

「で、どこなんだ?藤重!」

「ふ、藤重君かどうかはわからないけど…えと、この道をまっすぐ歩いていくと途中に図書館があるんだけど…いつもそのあたりから聞こえてくるの」

「図書館?おっかしーなー藤重のやつ、部屋で練習もできんのになんでわざわざ外で練習してんだ…」

なるほど、よく考えてみたらアヴニールの子は自分の寮だとかレッスンルームがあるのだからわざわざ外で練習する意味がない。
朝比奈君もやっとそこに行きついたらしく訝しげに頭を抱え始める

「ま、とりあえず行ってみればわかるか!!つーか名無しさん、いつもこんな暗い道帰ってるのか?危ねぇぞ?今度から雷神丸を護衛につけてやる!」

「私も大人だから大丈夫だよ?この辺は割と道も明るい方だし、雷神丸くんは夜くらいお休みさせてあげて?」

むーっと納得のいかない表情の朝比奈君だけどなんとかわかってもらえたようだ。でもこんな地味な女、変質者も避けて通るであろうに心配してくれた気持ちは嬉しいことだけは伝えておいた。

「あ…聞こえてきた」

ふっと出てきた言葉は闇に吸い込まれて

朝比奈君もじっと耳を澄ませていた。
かと思った次の瞬間

「やっぱり藤重だ…!!」

「え、藤重くんなの?」

「この音、間違いないぞ!!おいらが藤重の音を聞き違えるわけがねぇ」

あ、ちょっと待って朝比奈君、邪魔しちゃ…って言葉をかける暇もなく朝比奈君は図書館の方向へ一直線。もともと運動神経が少し残念な私が彼に追いつけるわけもなくやっと図書館の入り口にたどり着いたときには朝比奈君と黒髪の男の子が会話をしていたところだった。
あーもう少しゆっくり演奏が聴きたかったなあなんて思ったのは内緒の話

「藤重ーこんなとこで何してんだ?寮で練習すればいいだろー?」

「ギルティ!!玲央のやつが俺の部屋を凍らせるんだ…!!最近あいつは新しいギャグを模索しているとかでしょっちゅう押し掛けてくる…許せん。」

「あーなるほどなーそういえば最近寮の中が寒いと思ったんだ!!…あっ名無しさん!!!こっちこいよ!!」

あぁぁぁ…朝比奈君、お願いだから私を呼ばないで…ほら、藤重君?が不審な目をしてみてるじゃない…

「誰だ貴様は…まさか俺の演奏を聴いたのか?」

「あっ…ご、ごめんなさい。」

「謝る姿勢はノット・ギルティ。だが俺が聞いているのは俺の演奏を聴いたのか、聴いてないのか、だ。どっちなんだ今すぐ答えろ。さもなくば地獄に叩き落す」

「き、聴きました…とても素敵な演奏でした。」

「名無しさんは藤重のファンなんだってよー。」

な?って問いかける朝比奈君がこんなに憎くなる日はもう二度とないだろう。










「ファ、ファンというか…いつも仕事帰りに元気をもらってます。あの、疲れてる時でも貴方の力強い演奏を聴くととても元気になれるんです。明日も頑張ろうって。なので、えと…タダ聞きしちゃってごめんなさい。」

「…俺の演奏を聴いて何か変わったことはないか?体調が悪くなったり、怪我をしたり」

「…?いいえ、むしろ調子がいいくらいですけど…」

目を見開く藤重君と朝比奈君

「そういえばすっかり忘れてたぞ!!おいら、慣れたからなー。藤重の演奏聴いても何にもならないのかー名無しさん、シャバいな」

「何にも…いや感動したけど、そういう意味ではなくて…?」

「おどおどとこちらの様子を伺うその姿…ノット・ギルティ。なぜ俺の演奏を聴いても無事かは追々調べればいいだろう。決めたぞ、今日からお前をこの一真様の下僕にしてやろう。」

「げ、下僕…?」

下僕だなんて漫画か小説でしか聞いたことないですけど。
呆ける私の隣では下僕じゃなくておいらの友達だ!!!だなんて怒ってくれてる朝比奈君がいるけれど藤重君はどこ吹く風で

「くくくっ、久しぶりに楽しくなりそうだ。名前は…名無しさん、と言ったか?明日から毎晩ここに来い。いくらでも悪魔のメロディを聴かせてやろう。」

「あくまのめろでぃ…?」

「知らぬが仏、だな。まぁいい、明日からこの時間必ずご主人様のもとへ来い。来なかったときは、わかっているな?」

わかりません。まったくもって意味が分かりません。
朝比奈君の制止という名の叫びも届かずまたも私抜きで進められていく私のスケジュール調整にいい加減頭が痛くなってきた…最近の子(こんな言い方はしたくなかった…!!けど仕方がない。)は人の話を聞かないのが普通なのかしら?

ただ、またあの演奏を聴けるのだなあと思うと気分が上がる自分がいるのも事実だったので、ひとまず流れに身を任せてみようとする私はなんて自堕落な人間だろうか。

また明日、よろしくね藤重君。




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