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□息継ぎの仕方
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 夏目くんはいけすかない奴だった。
 好きです、と言った私に、ありがとう、と薄く笑った。そして困ったような、戸惑ったような顔で「ごめん」と言ったのだ。夏目くんの心には何ひとつ響いてやしないことは、夏目くんの「ありがとう」でわかった。出来れば知りたくないことだったけど、わかってしまったものは仕方がない。

 夏目くんは私の言葉を全く信用していなかったのだ。



 最近の夏目くんは少し変わった。タキが貝のように口を閉ざして誰とも口を利かなくなったあの時から、タキと一緒にいるのを見かけるようになった。夏目くんと仲がいいらしい黒髪の男の子は田沼くんというのだと、口をきいてくれるようになったタキから聞いた。タキはあの時のことを何も話してはくれない。ただあの時をきっかけにタキが夏目くんと打ち解けたのは訊くまでもないことだった。
 夏目くんの笑う顔が優しくなったことやタキや田沼くんと過ごすようになったことは、きっと喜ばしいことだけれど、そのことを思うと切なくなる。


 幸いと言うか不幸にもというかはわからないけれど、かなり一方的な片思いだったおかげで振られたからといって何も変わらなかった。告白してすぐは気まずくて私の方から避けていた。夏目くんを見かければ隠れ、夏目くんのクラスには近寄らないようにした。けれどそんなことは何の意味もなかった。夏目くんは私とすれ違っても顔色ひとつ変えやしない。夏目くんは、私のことを覚えていないのだ。だからこそ今になっても私はこんなにも夏目くんの姿を追うことができるのだけど、それはとてもひどいことのように思えてならなかった。それでも夏目くんがすきな私は、もっとひどい。

 付き合うとか付き合わないとか、そんなのはどうでもよかった。どうでもよかったというか、期待はしていなかった。自分の気持ちが独りよがりであることはわかっていたし、接点もない私が夏目くんとどうこうなるとは到底思えなかったからだ。でも知りたかった。みんながひっそりと言う変な夏目くんのことが。ぼうっと眺めるその先に見えているものが。
 水の中で生きている人のように私には見えた。なのに息継ぎの仕方を知らないんじゃないかと思うほどに儚くて、水に潜ったまま息を潜めて毎日を過ごしているように、私には見えた。

 夏目くんとの接点。この気持ちを伝えるほかにどう作ればいいのかなんて、私にはわからなかったよ。



 じゃあ、とタキが言うと夏目くんが軽く手を挙げた。朝の廊下。教室に入って来たタキは私に「おはよう」と言う。

「おはよう、タキ」

 窓際の一番後ろが私の席で、その前がタキだ。

「何を見てたの?」

 開け放した窓から風が吹き抜ける。

「ずっと見てたでしょう、外を。門から歩いてて見えてたから」

 タキの声がするりと耳を通り抜けていく。あの時、タキと夏目くんに何かがなければこうやって話すことは出来ないと、わかってはいるけれど。

「好きな人を見てたの」

「あの辺りにいたの?!」

 タキはよく通る澄んだ声を上げた。

「いたよ」

「えー…」

 一体誰なんだろう、と息を吐くタキの反応に私は笑う。

「残念でした」

 もう一度風が吹き抜けた。今日はよく風が吹く日だ。


 タキに夏目くんのことを言えないのは、私がタキに激しく嫉妬しているからだ。夏目くんに守られたタキのこの声すらも、私は途方もなく妬んでいる。タキはすき。でもそれ以上に夏目くんがすき。



息継ぎの仕方



 タキと夏目くんが一緒にいるのを見ると、喉の奥と鼻の奥の間が詰まったように息苦しくなる。水の中でもないのに。


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