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□世界はひとつ、なんて
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 誰かと、人と、生きていくことなどおれには出来ないと思っていた。いつからか自分は人と違うのが当たり前で、その違いは誰からも受け入れられないものだと思い込んでいた。そう考えながらずっと、誰かと過ごすことにどうしようもないくらいの羨望を持っていて、受け入れられたいと強く望んでいたように思う。

 もし、万が一、そんな日がきたら。おれを受け入れてくれる人が、こんなおれと一緒にいたいと思ってくれる人が、現れるなんて夢のようなことがあったら。幸せに、なれるんじゃないかと考えたりした。幸福。その言葉を思うと浮かぶ具体的なもの。ぼんやりとした想像じゃなくて、しっかりとした記憶で呼び起こされる誰か。それを得て重なっていく不安。幸せの最中に心を支配するのがその気持ちだけじゃなくて、失うことへの恐怖が混じるなんて、今までのおれには知りようがなかったんだ。


「夏目には秘密があるのでしょう」そう言っておれに打ち明ける勇気をくれた。そしておれを思って静かに涙を落してくれた。涙を落しながら「私が泣くのはちがうのに」と堪えようとした。堪えられなくてやっぱり涙は落ち続けて、そんな君におれは泣きたくなったんだ。

 優しいものに囲まれて、優しい時間を手に入れて、それだけで満足できないくらいゼイタクになってしまったおれは、一人でいたときよりも臆病に弱虫になってしまった気がする。



 学校の帰りに並んで歩く日々を重ねてそれはもう習慣になっていた。夕暮れの中、時々寄り道をして長く二人で過ごした。その時々の中のまた時々は、なお帰り難く歩みは緩くなり、今日のように人の少ない神社の石段に腰を下ろすこともあった。

「夏目の見ている世界はどんなかな」

 君は少し目を伏せて笑った。それが寂しいときの癖だと見抜けるほどに、おれたちは親しくなっていた。

「ろくなものじゃないよ」

 ゆっくりと目を細めておれは笑う。こうやって冗談めかして笑うときの顔がおれの心を映していないことを、もしかしたら君は知っているんだろうか。おれが君の癖をひっそりと知っているように、君も。

「でも、見てみたいな」

 ろくなものじゃない、そう言っておれは笑ったけど、おれはほんの少しずつこの世界を好きになっていた。その言葉にはきっと皮肉もあったけど、確かに、確かに愛おしさもあった。こんな風に皮肉めいたことが言えるくらいに人も世界も妖たちも、好きだと思えるようになっていたんだ。それを君と分かち合うことができたならどんなにいいだろうと考えることもある。おれの世界じゃなくて、君の見る世界をおれが見ることができたらどんなにいいだろうと考えるのと同じくらいに。


「見えなくてもいいんだ」

 自然の多く残るこの町で、色んなものが癒されていく。木々の緑が、池の水の青さが、空の眩しいほどの白さが、香りを含んだ風が、雨上がりの虹が、おれが感じるのと同じように一緒にいる人にも感じられる。それが幸せだなんて言ったら、また君は泣くだろうか。

「こんなものって思うときが、やっぱりあるんだ。好きだけど、嫌になってしまう日もある」

 となりに座る君の横顔がおれの方へ向く。

「君が見えたならって思った時も正直あったんだ」

 おれは君を、君はおれを見る。目が合って、思う。それだけで君の目に映るものとおれの目に映るものは違う。きっと全部それだけのことなんだ。大げさなことなんかではなく、それだけ。

「苦しいことばかりじゃない。苦しさが薄れてしまうくらい、いいことだってあるよ。でも消えないんだ。いいことも、悪いことも」

 おれの今までを、心の中でなぞる。君に見せたいものと、隠したいものが数え切れないくらいある。

「だから見えるのがおれだけで、よかった」

 君にも、と思いがある半面そう思うのも本当なんだ。


「夏目、」

 君の声はいつも優しく響いたけれど、その声は一層優しかった。

「私が見たいと思うのは、それが夏目の見ているものだからなんだよ。夏目の世界だからなんだよ」

 君の目におれが映るのが見えて、おれの目には君とその中のおれが映っていた。

「くるしくてもうれしくてもかなしくてもしあわせでも、何だっていいんだよ」

 ざっと吹いた風に木々がなびいて、はらはらというには激しい速さで葉が散った。

「それが夏目の生きている場所なら、それだけでいいんだよ」

 さっきの風が嘘のように静まり返った神社で、あのときの君みたいにおれは涙を落した。


 それはおれの気持ちだったんだ。君と同じ場所で同じものを見て生きてみたい、と少なからず思うおれの、心そのものだったんだ。




世界はひとつ、なんて



 見えなくてもいい、それはどっちの意味だったんだろう。君に妖が、おれに妖が。おれはどっちを思ってそう言ったんだろう。


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