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□ハッピーエンドはまだ遠く
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「いいのか」

 あいつの背中が見えなくなるのを確認してから振り返ると将五が立っていた。

「先行ったんじゃなかったのかよ」

 はぐらかそうとしても将五には通じない。塀にもたれたままじっと俺を見る。

「いいんだよ」

「武装入りを渋ってたのは、あの子のこともあったんだろ」

「まさか」

 そんなことがある訳がない。こんな中途半端な気持ちであいつをどうにかしたいとか思うのは自惚れだ。


「武装とあいつを天秤にかけるなんて真似、できるかよ」

 薄く笑って足を速めた。将五は不服そうに後に続いた。



 黒咲には不似合いだった。小さな体で工具箱を重そうに運んだり、工業に来たくせに理数系が苦手だったり、とにかく危なっかしくて見ていられなかった。それでいて一生懸命なのが不思議でしょうがなかった。好きでもないことにどうしてそんなに真剣になれるんだって、理解できなかった。けど痛々しいほどにひた向きでどうにかしてやりたいと思うようになっていた。



――黒咲はね、お父さんの母校なんだよ。


 何で黒咲に来たのかと訊いた俺の問いにあいつは答えた。

――みんなを見てると、昔のお父さんはこうだったのかなあなんて思う。

 誰もいない実技室。耳鳴りがしそうなほど静かなこの部屋で、ゆっくりと微笑む。

――いつかお父さんに親孝行したいって思った時、お父さんと同じ道で頑張ったら一番喜んでもらえる気がしたの。本当は自分の夢を叶えるのがそうだって思う。でも私にはそれがなかったから。

 夢なんて持ってる奴の方が少ないのに、その顔が本当に申し訳なさそうで。

――私のしたいことって結局はお父さんが喜ぶことだなって。だから黒咲にしたの。

 お父さんはやめろって怒ってたけど、と罰が悪そうに目を細めた。

――そうか。

――うん。


 あいつに母親がおらず、父親と二人だけの家族であることを知ったのはそれからすぐのことだった。だからって同情した訳じゃなかった。俺だって父親がいない。そのことを他人に同情されることがどんなに悔しいか、俺は知ってる。母親がどれだけ必死でやってきたかがわかるから、自分に対してそんな気持ちを持たれることが嫌でたまらない。多分、あいつもそうだ。
 ただ胸を打たれた。努力に比例しない結果にもめげることなく一心に頑張る姿が、眩しいと思うほどに。


 ほんの少しずつではあるが、寄り添うように距離が縮まっているように思っていた。おはよう、とはにかんで口にするのも、話をすると目を伏せて笑うのも、笑いかけると苦しそうに目を細めるのも、俺だけに見せられる姿だと薄々感じていた。あいつの気持ちに応えてもいいものかと考えあぐねていた時、武装や母親のことが重なった。武装に入ると決めた時も母親が倒れた時も、あいつのことが頭を掠めた。大丈夫だろうか。一人できちんと頑張っていけるだろうか。そんなことを考えて自分の自惚れに嫌気が差した。

 口になど出来るはずがない。自分には夢がない、と悲しそうに言ったあいつの父親に対する気持ちは夢と同じだ。あいつにとって叶えたい夢だ。そんな奴が武装戦線の藤代拓海と一緒にいるべきじゃない。武装が悪いとかまっとうじゃないとか、そんなことは思わない。けど、人の認識がそうであることは確かだ。その中にあいつを入れてはいけない。危険な目になど遭わせたくはない。だったら嘘でも「ごめんな」と言うしかない。



「待ってろって言えばよかったんじゃないのか」


 拓海、と将五は呼ぶ。

「やわな女じゃないだろ、アレは」

「だからだよ」

 そうだ。最後に俺の背中を押したのはあいつだ。武装に入るのも黒咲を辞めるのも、俺なんか居なくたってやってけるって思ったからだ。それどころか、あいつの存在自体が俺を奮い立たせた。努力に比例しない結果だって、自分のものだって。根性がなければそんなの受け入れられない。


「自分のやることやれって言われるんだよ、何を言ってもさ」


 将五は諦めたように笑った。それならしょうがねえな、と。




ハッピーエンドはまだ遠く



 俺が武装を去る時、あいつはどうしてるだろう。もし、万が一億が一、あいつがまだ俺を好きだと言ってくれるなら、なんて女々しいことを考えていた。


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