今日では、羽裏や襦袢で派手に着飾る事を『裏勝り』なんて申します。
『裏勝り』こそ『粋』の真髄、ですとか、見えない所にこだわるのが『通』、なんて話をよく見聞きしたりします。

しかしちょっと待って下さいよ。

先程来お話致しました通り、かつての『意気』な洒落者達は、其の派手な羽裏や襦袢に命を懸けたんですよ。
其の『心意気』を解せずして、着こなしだけを真似たところで、果たして本当に『粋』と云えるでしょうか?

そうです。
『粋』に装うとは、『意気』を装う事なのです。
『粋』な男とは、『意気』に感じる男なのです。

着こなしを真似るのでは無く、意気に感じて其の魂を受け継ぐ事こそが、本物の『粋』=『意気』ってもんじゃないでしょうか?
『意気』を解せず、着こなしを真似るのは、それこそ『不粋』ってもんでじゃないでしょうか?

男なら『意気』を着ましょう!


羽裏がどうの、帯結びがどうの、雪駄の履き方がどうの、そんな事はどうだって良いんですよ。
偉大な先人達が命を盾に伝え遺して下さった、私達日本人の伝統的民族衣装きものを、私は身に纏うんだと…
私が纏っているのは日本男児の『心意気』だと…

其のきものが、古着屋で二束三文で叩き売られていた冴えないボロきものでも…

堂々誇りを持って男らしく『意気』に着ようじゃないですか!

  和亭笑次郎

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