読物
□愛してるから、さようなら。
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「ヒノ様。鈴蘭、先程柄の悪い男の方たちに絡まれていたところを、あのお方に助けていただいたのです」
「へえ……で、あのお方って?」
「え……? あら? 確かに、ここに居らっしゃったはずですのに。綺麗なお方で、“奥方様”とお付の方に呼ばれていらっしゃいました」
「姫君を救ったのは、女人だったのかい!?」
「ええ! それはもう、軽やかな方でした! それに、とっても優しくて……鈴蘭もあのような女性になりとうございます」
「……女人」
「ヒノ様?」
「いや、姫君はそのままで十分魅力的だよ。さ、行こうか」
「はい! 今日は、市に参りましょう!」
「ああ、姫君の仰せのままに」
その一連の会話を、私は少し歩いた先の扉に隠れて聞いていた。
「望美、様……い、今のは別当殿ではございません! ですから、ですからお気を確かに!!」
遠くで、飛鳥さんの声がする。
何を、言ってるのだろう。
「…………ねえ、飛鳥さん」
漏れた言葉は、不安の沼から。
「は、はい?」
「ただ一人、愛する人の為に異世界に残った人間が、愛する人の愛を失ったら、どうなると思う?」
たった一つの、居場所を失ったら……。
「どこへ、行けばいいの? どこで、存在、すればいいの?」
恐れていた。
ずっと、ずっと。
私は、貴方の命の為に、何度も運命をやりなおした。だからこそ、貴方を思い続ける自信があった。けれど貴方は、ただ一時だけ白龍の神子であった私を、そこまで愛してくれるのだろうかと。
ずっと、思っていたの。
「……っ!」
もう、枯れ果てたはずの涙が、まだ残っていたことに心の片隅で驚いた。
さよなら、愛しい人。
――シャン……。
「の、望美様!! 何をなされるおつもりです!?」
取り出した白い首飾りに、嫌な予感を覚えたらしい飛鳥さんが、私の腕を取る。
止めないで。
そう視線だけで伝えれば、殊更力は強くなった。
「望美様! 望美さま……っ! 邸に帰って、一緒に刺繍をいたしましょう? 一緒にお花を摘みましょう? ですから、ですからっ」
「……飛鳥さん、もうこの世界に“私”はいらないの」
それはもう、半年前からわかっていたこと。役目を終えた私は、この世界に必要とはされない。けれど残ったのは、ただ一人命をかけて助け出した、あの人を愛していたから。あの人に愛してると、言われたから。その理由さえ無くした今、私はもう、この世界には存在できない。
「だから、帰らなくちゃ」
一筋流れた涙。
些細な微笑。
私は、幸せすぎるほど幸せだよ。
「だって、あの人が、生きてるんだもん」
あの残酷な結末は、もう来ない。
それが分かっているだけでも、もう幸せ。
「だから、あの人にも、幸せになってほしいから」
あの人は、愛する人と幸せにならなきゃ。
「の、ぞみ様……。違います、それは間違っています!」
「飛鳥さんには、わからないよ。ヒノエ君を助けられなくて、流した涙は、こんなものよりももっと……痛かった」
ぐっと、握り締めると、淡く光りだす逆鱗。
鈴の音が、遠くから、遠くから、聞こえ始める。
――シャ……ァン。
さよなら。
――シャ……ァン。
ヒノエ君。
――……。
「望美!!」
意識が途切れる寸前、ヒノエ君の声を、聞いた気がした。