読物

□愛してるから、さようなら。
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 ――時々無性に、不安になることがある。



【愛してるから、さようなら】


「望美、望美? どうしたんだい?」

 ふいに顔を覗き込まれ、私の思考は一旦停止した。
 見つめてくる愛しい彼の紅い瞳に、自分を襲う不安を暴かれそうで、慌てて顔を背ける。

「ひ、ヒノエ君。今日は、早かったね」

 別当邸で暮らし、半年がたとうとしていた。この異世界にきてから、何年目なのかは、もうわからない。

「愛しい姫君の顔が見たくて、飛んで帰って来たのさ。それなのに、お前は連れないね」

 言いながら、ヒノエ君の長く綺麗な指で、顎をさらわれる。一つ一つの仕草に、私の胸は未だ鼓動を早くする。

「ごめんなさい、なんでもないの」

 言って、顎にかかった指を静かに払った。
 勘のいい貴方は、その態度を不審に思ったようで、僅かに首を傾げる。けれど、全てを悟られるほど、私は未熟じゃない。

「ヒノエ君ったら、恥ずかしいよ……」

 本心半分、嘘半分。

「ふふ、お前は本当に可愛いね」

 最早常套句と化した言葉に、私は真実を捜せない。

「ねえ、ヒノエくん。明日はお休みって言ってたでしょ? 一緒に市に行かない?」

 一緒に出かければ、きっと楽しくて、あんな不安なんて吹き飛ぶはず。
 そう思って誘ったけれど、返って来たのは予想とは全く違う答えだった。

「ごめん、望美の誘いに応じたいのは山々なんだけどね。明日は、ちょっと用事があるんだ。すまない」

 本当に申し訳なさそうなヒノエ君に、私は笑って「別にいいの」と手を振った。
 きっと、お仕事が入っちゃったんだろう。そういう、仕事熱心なヒノエ君も好きだから、不安も寂しいのも私は耐えられる。

「……ねえ望美。明日は、家に居ろよ? もし、オレが早く帰ってきて、お前がいなかったら、出かけられないからさ」

 その気遣いが、胸をくすぐる。

「わかった。待ってる。だから、早く帰ってきてね?」

 浮かんだ笑顔は、心からのものだった。



 貴方の、その些細な一言ひとことが、私の胸をくすぐって、不安を無い物にする。それは、私が貴方を愛しているから。それは、貴方が私を愛しているから。
 そう、思ってたんだ。



 翌日、私はヒノエ君に言われたとおりに、家でじっとしていた。そう、午前中までは。

「ちょっとくらい、のぞきに行ってもいいよね?」

 熊野に落ち着いてから少し経ったある日、初めて市に連れ出してもらって、本当に楽しかったことを思い出し、居てもたっても居られなくなった。
 急いで、着物を軽装に着替える。用心の為に、白龍の剣も携えて、私は邸を後にした。

「望美様、私も一緒に行きます!」

 と、頑として譲らなかった女房の飛鳥さんと一緒に……。


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