おお振り

□約束
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阿部くんが右手を高くあげて立ち上がった。練習の終わりを告げる俺へのサインだ。

「…ふうっ。」
疲れきった体から自然と息が漏れる。額の汗を拭うと、俺は阿部くんのいるホームまで走った。

「今日、上手くサイン通り、投げらんなく、て、ごめん」
俺は阿部くんの正面に行くなり、早急に謝った。今日の投球はひどいものだった、と、三橋は思う。サインを受けても、4球に1本サイン通りのところへいけばよい方だった。それもこれも、二日前から肩にある違和感のせいだ。今までこんなことなかったのに。阿部くんきっと怒ってるだろうな。要らない感情が次から次へ生まれて上手く阿部の顔を見れず、下を見ておどおどしていると、

「あ、ああ。いいよ。こんな日もあるって。」
三橋は顔をあげて阿部の顔を見つめ、目をぱちぱちさせた。もうあの時とは違うんだ。三橋は、三星にいた頃の忌まわしい記憶を思い出した。阿部くん。俺とバッテリー組んでくれた人。俺を本当のエースにするって言ってくれたやさしい人だ。三橋は阿部に今日のことを詫びながらも、阿部の返答に、何か心に温かいものを感じていた。

「それより、どっか痛いとかないのか?体調が悪いとかさ。」
「…あ…」
肩のこと言おうかなあ。…駄目だ。約束してくれたじゃないか。三年間、阿部くんが病気も怪我もしないって言ってくれたんだ。ずっと俺の球、とってくれるって。なのに、肝心の俺がこんなんじゃ、阿部くんがしてくれた約束の意味がないじゃないか。

「…ううん!」
元気よく返事をすると、
「それならいいよ。」
と、やさしく微笑んだ。時々、阿部くんの言葉に心が締め付けられる。と同時に、目頭がジンとなる。俺は絶対にこの人を裏切らない。絶対だ。グランドを歩く阿部の背中を小走りで追いかけながら、三橋は強く誓った。


〜約束〜


次の日…朝起きると、肩に感じていた違和感が痛みになっていた。不安になった三橋はベッドから起き上がるなり肩をぐるぐる回してみた。うん、なんとか肩は回る。だが、かつてない自分の体への不安に気分が晴れない。大丈夫だろう。きっと。部活はストレッチは十分して……あんまり力まずに、ウォーミングアップをしっかりして…。色々考えていたら朝の貴重な時間を食っていることに気付き、慌てて制服に着替え、食パンをくわえ、たまたま目についた袋に入った菓子パンを手にぶらさげ、急いで家をでた。自転車を勢いよく漕いで、昇降口に走り込み、上履きにはきかえていると、阿部が走り込んできた。

「ふへ?は…はへふん……。」
食パンをとっくに食べ終えた三橋は、菓子パンを口にほうばっていたのでうまく喋れない。

「…おお!三橋!おはよう!」
はあはあと息を切らして阿部くんは靴をはきかえていた。授業開始まであと2分。三橋はよく滑り込みセーフで登校することが多かったのだが、阿部がこんなに遅くに登校するなんてなんだか珍しい。二人でバタバタと廊下を走っていると、

「は、はへふん、へひははっへふほ。」
三橋は口にパンを含んだまま阿部に話しかけた。

「ぷはっ!なんだよ三橋。口にものいれて喋られても何言ってるかわかんねえよ!」
と阿部は大きなたれ目をくしゃっと細くして笑った。三橋は阿部のたまにしか見せないその笑顔がすきだった。

「それより、今日も部活頑張ろうな!」
息を切らして走りながら、阿部は三橋に言った。
「!…ふん!」
口をもごもごさせながら三橋は元気よく頷いた。
今日こそは阿部くんの期待に応えられるように頑張ろう!と心の中で強く思った。

あっという間に一日が終わり、三橋は田島、泉と共にグランドへ向かった。忙しく練習着に着替え、既にストレッチを始めている阿部、花井、栄口、水谷の所へ向かう。普段は阿部とストレッチのペアを組んでいるが、こうしてクラスで終了時間が違う時は早く終わったクラスの部員同士がペアを組む。阿部は花井とストレッチをしていた。

「よ〜し!三橋、泉!ストレッチするか〜!」
「う、うん!」
「おう」

田島に促されて三人でストレッチを始める。最初は田島と泉がペアを組んで体を伸ばしている。その間、三橋は肩をぐるぐる回し、肩を温めていた。その時まで、朝からの肩の痛みをすっかり忘れていた三橋は、肩に走った激痛に思わず顔を歪めた。三橋の胸に不安が積もる。
(ど、どうしよう。すっかり忘れてたけど、、、)
頭の中を最悪の事態が遮る。三橋は肩を押さえて立ち尽くしていた。その時、

「三橋。俺終わったし伸ばしてやるよ。ほら、座って。」
阿部が三橋に喋りかけながら、三橋の両肩を下に下に押さえ座ることを促した。

「っ、痛っ!」
思わず苦痛に声をあげてしまった。

「!?三橋?どうした?」
心臓がバクバクいってる…。駄目だよ、駄目だよ。

「…なんでもないっ!なんか…ちょっと、昨日階段でこけて打っただけ…」
下を見ながら早口で喋る三橋。
「打った?肩?」
「う、うん」
「右?」
「え…あっ、左!」
「左か…。まあ右じゃなくてよかったな。…で、痛いの?」
「ううん!…ちょっと押さえると痛いだ、け…」
「打撲ってことか…。まあ、具合ヤバイとかは自分が一番分かんだろ。様子見ろよ。」
「う、うん…」
とりあえずその場は切り抜けられたとホッとする三橋。
(人に嘘をつくなんて…し、しかも阿部くんに…)
罪悪感で苦しくなる。そして、とうとう投球練習が始まった。

(阿部くんのサイン・・・)
三橋はボウッと阿部のサインを見る。
(シュート・・・)
ボールを握り直し、阿部のミットに狙いを定める。ボールを放った瞬間、肩を激痛が襲った。
「・・・いっ」
三橋の指先に変な力が加わり、阿部のミットから少し離れたところにボールが飛んでいく。
(あ・・・またミットに行かない・・・。昨日みたいな投球してたら、いくら阿部くんだって、俺のこと、要らないって思っちゃう・・。)

想像しただけで涙が流れそうだ。肩の痛みより、阿部に必要とされなくなる方が、ずっと怖かった。三橋の投球を阿部がキャッチし、首を傾げるとボールを三橋に投げ返した。
(…阿部くん…呆れてる…頑張って投げなきゃ…嫌われちゃうよ…)

三橋な涙を堪え、肩の痛みに耐えながら、その日一日の投球練習を終えた。

「三橋―!今日調子よかったな!ゲンミツに!」
田島が明るく三橋に話しかける。
「うっ…あ、ありがと」
嬉しくてはしゃぐ三橋。痛みを堪えながらとは言え、今日の投球はなかなかよかった。阿部くんも安心してくれたかな、と心を撫で下ろす三橋。最も、右肩は痛みを通り越し、痺れているような感触だ。それでも三橋はホッとしていた。しかし、三橋の気持ちとは裏腹に、阿部は三橋と目があったかと思えば、ズンズンと近づいてくる。三橋は思わず目が泳ぎ、キョロキョロと挙動不信な態度をとってしまう。

「三橋。」
「は、ひっ」
「三橋!」
「は、はいいい!!」
突然の気迫のこもった呼びかけに驚いたからなのか、それとも相手が阿部だったからなのか、三橋は声をビクつかせていた。

「…お前どっかかばってるだろ。」
図星すぎる阿部の問いに思わず息を飲む三橋。
(誰が見ても今日の投球は良かったはずなのに…阿部くんにはわかっちゃうんだ…全部お見通しなんだ…)

グルグルしていると、肩を叩かれてビクッとする。ビンッと走る鈍い痛み。
「―っ」

三橋が顔を歪めると、阿部は無理やり部室と反対方向へ三橋を連れていく。
(、どうしよう…どうしよう…阿部くんにバレちゃった…使えないって…要らないって…捨てられちゃうよ…)
強引に無言で三橋の左手を引っ張っていく阿部。三橋の涙が頬を伝う。

阿部に、街頭があるグランドの端に連れていかれた三橋は、下を向いて泣いているのを必死に悟られまいとしていた。
「…右肩だろ。」
阿部の声に後ずさりする。
「…っあ…ちがう」
「肩見せてみろ」

阿部はそう言うと、三橋の練習着を無理やり脱がせていく。

「っあ、い、な、なんでもないっ…」
三橋はポロポロと涙を流しながら阿部の手を拒むが、阿部にむなしく弾かれてしまう。ボタンを外し、ガバッと開かれ、アンダーをずらされる。黒いアンダーから弾き出され、街頭にいやらしく照らされる三橋の白い肌。阿部は三橋の肩を見て唖然とした。真っ赤になっている上、腫れている。三橋はヒック、ヒック、と鳴咽を繰り返しながら、三橋の肩に触れている阿部の腕を弱々しく握った。
「…どうしてすぐ言わねんだよ」
「ひっ…ひっ」
「なあ!なんで言わなかったんだ!」

阿部が怒っている。三橋はうつむいたまま、ただただ、涙を零した。
「…俺はお前に信用されてねえんだな…」
「ちっ…ちが」
「違わねえよ!お前いっつもそうだろ…。大事なこと、何も話してくれねえじゃん!」
三橋は目をゴシゴシこすった。
(もう・・・阿部くんに捨てられちゃう。)
三橋は蚊の鳴くような声で言った。

「…っ…い、要らないって…つ、使え、ないっ…て…、っ俺…、コントロールだけ、なのに…それが、できなくなったら…っ…」

阿部は黙って三橋の言葉に耳を傾ける。
「お、俺は、ダメピー…だ…阿部くんは、…いいキャッチャーなんだ………俺のか、からだが、使えなくなったら、…っ…もう…阿部くんに…捨てられるんじゃ、な、ないかって…っ…」

阿部は黙っていたが、しばらくすると話しかけた。
「…なあ。三橋。お前は一体俺のなんなんだ?」
「…っふえ…」
三橋は鳴咽を繰り返し、耳まで赤くしている。
「お前は、俺がお前のこと切り捨ての道具か何かだと思ってるみたく喋る。でもそれは、お前の勝手な思い込みだよ。…三橋。お前は俺の大切なパートナーだ。」
三橋が顔をあげる。

「…っでも、これから三年間、阿部くん、ケガしないって…言ってくれた…のに、お、俺…俺がケガしちゃ…っ、だ、ダメじゃないか…っ」

阿部は三橋の言葉を聞くと、三橋を強く抱きしめた。
「お前バカだよ…」
突然のことであたふたする三橋。
「今回のことは許してやる。けど、もし次、大事なこと黙ってたら…許さねえ。」
「…は、はいっ」
三橋が阿部の肩に顎を乗せて返事する。

「…コントロールとか関係ねんだよ。どんな球だろうと、お前の投げる球を、俺は三年間受けるんだから、な。安心してい−んだよ。いらねえ心配しなくてい−んだよ…」
「…ほっ…本当?」
「本当だ。」

(阿部くんの腕が温かい…)
三橋もいつのまにか、阿部の背中に手を回していた。
「だから!もう秘密はナシだかんな!!」
阿部がビシッと勢いよく言うと、三橋から手を離す。三橋から離れた阿部の顔は少し紅潮していた。すると、また阿部は三橋の手を引っ張って、部室まで連れて行く。

「…っあ、あべく…?」
「…とりあえず、肩、シガポに見てもらうぞ!」

三橋は阿部の手から伝わる温度を握りしめ、思った。
(絶対この人を裏切らない。)


シガポに三橋の肩を見てもらうと、ただの使いすぎだと言われ一応医者にも行ったが、一週間安静にすれば大丈夫だということがわかった。
(また阿部くんとの約束が出来た。)
三橋は阿部をみつめた。

「なんだよ…」
少し顔を赤くする阿部を見て、三橋もつられて顔が熱くなる。

(秘密はナシ!……だよね?阿部くん!)





おわり


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